
本間宗究(本間裕)のコラム
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2025.3.6
心の仮説(改訂版)
数年前に気付かされた「心の仮説」、すなわち、「肉体に魂が入った時に心が生まれる」という考え方については、現在、若干の修正が必要な状況とも感じているが、実際には、「心眼と肉眼」に対する理解である。つまり、「心眼」というのは、基本的に、「神眼」であり「真理を見通す目」だと考えているが、一方で、「肉眼」については、「人の眼」を意味するとともに、「未熟な認識」を表しているものと考えている。
そして、この時に重要な役割を果たすのが、「心」、すなわち、「魂と肉体を繋ぎながら、時空を超えて、どこにでも行ける存在」だと感じているが、このような状況の結果として発生する現象は「悩み」であり、実際には、「神の眼」と「人の眼」の違いを認識することにより、「心」が「脳」を理想的な位置に動かそうとする状況のことである。別の言葉では、「なぜ、自分の認識が現実と違うのか?」に悩まされながら、「神の眼」や「真理」などを理解しようとする努力のことである。
また、「神の眼」と「人の眼」の「差」を取るのが、いわゆる「悟り(差取り)」だと考えているが、この点については、「ヘーゲルの弁証法」も同様の認識のようにも感じている。つまり、「正」という「自分の理解」と、「反」という「現実、あるいは、真理(神の理)」の違いに直面した時に、さまざまな悩みや葛藤が生まれながらも、時間の経過とともに、「合」という「自分の理解と神の真理とが近づいていく状況」のことである。
しかも、この点を、「歴史の全体像」に当てはめながら考えると、現在では、「138億年の歴史を持つ宇宙」や「46億年の歴史を持つ地球」と比較して、「わずか数万年の歴史しか持たない人類史」の貧弱さが浮かび上がってくるものと感じている。別の言葉では、「神の創った世界」を研究する「自然科学」と「人の作った社会」を研究する「社会科学」との「次元差」のことでもあるが、実際には、「11次元」にまで到達した「自然科学」と「三次元」に留まっている「社会科学」との歴然とした違いである。
より具体的には、いまだに「戦争」が行われるとともに、「軍事費の膨張」が世界的なテーマとなっている状況のことでもあるが、「四次元の世界観」からは、「1600年前の西ローマ帝国の崩壊」が見えるとともに、「五次元の世界観」からは、「文明法則史学」が教える「歴史のサイクル」、すなわち、「富の時代の終焉」を想定しているが、実際に予想される現象としては、「あまりにも行き過ぎたマネーの偏重」に対する「天罰」、すなわち、「通貨価値の急落」だと考えている。