本間宗究(本間裕)のコラム

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2023.5.24

民主主義と衆愚政治

現在の「米国における債務上限問題」については、「民主主義が堕落し、衆愚政治に変化した典型例」のようにも感じているが、この点について、シュペングラーの「西欧の没落」では、より具体的な指摘がなされている。つまり、「都市化現象である政党政治」という表現を使いながら、「民主主義そのものが、大都市の誕生と密接な関係を持つ状況」を説明しているのである。

しかも、この時には、「職業政治家によるバラマキ政治が実施される」とも述べられており、このことは、「政治を専門とする人々による税金の奪い合い」であり、また、「法律による支配」、すなわち、「国民の行動を法律で縛りながら、合法的に税金を徴収する制度」とも理解できるのである。つまり、「西暦1200年から2000年」という「西洋の時代」の末期、すなわち、「西暦1800年から2000年」においては、「巨大都市のみならず、数多くの職業政治家が跋扈していた状況」だったことも見て取れるのである。

別の言葉では、「マネーの膨張とともに、共同体の規模が拡大した展開」のことでもあるが、この時に発生する現象は、やはり、「分業体制が産み出した社会の闇」とも言えるようである。つまり、「社会の規模」と「個人の力」の関係性において、「個人が理解できる部分」が、きわめて小さなものとなり、その結果として発生する事態が、「政治への無関心」であり、また、「政治の暴走」とも考えられるのである。

具体的には、「政官業の癒着」であり、また、「通貨の堕落」などのことでもあるが、実際には、「税金の無駄使い」が加速するものの、「社会の木鐸」である「マスコミの堕落」などにより、「国民に実情が知らされない状況」が産み出されるのである。別の言葉では、「民主主義という名の衆愚政治」のみならず、「デモクラシーの終末と皇帝政治への移行」が発生する状況のことである。

そして、この時の注目点は、「権力の暴走が、いつまで続くのか?」ということでもあるが、実際には、「非理法権天」という言葉のとおりに、最後の段階で、「権力者による貨幣の破壊」という展開が想定されるのである。具体的には、「信用消滅が引き起こす通貨の堕落」、すなわち、「紙幣増刷によるハイパーインフレ」のことであり、この時に発生する現象は、「目に見えない税金」、すなわち、「インフレ税の徴収」とも理解できるのである。つまり、「目に見える税金の徴収」が難しくなった結果として、「目に見えない税金」が、「インフレ」という「国民に理解される方法」で課される状況のことである。