本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.10.6

失われた30年の真因

最近では、「世界的な金融混乱、あるいは、軍事的混乱」の激化とともに、「これから、どのような時代が訪れるのか?」を考える人が増えてきており、その結果として、「日本の失われた30年」については、「過去の出来事」として処理されつつある状況のようにも感じている。つまり、「時代の流れ」や「人々の心理状態」から判断すると、現在では、「直面する混乱」や「将来への危機感」の方が、多くの人々にとって、「過去30年余りの停滞」よりも、大きな位置を占めつつある状況のようにも感じられるのである。

しかし、この点に関して、私自身が感じることは、「新たな時代を切り開くためには、過去の分析、そして、理解が必要ではないか?」ということであり、特に、現在は、いまだに理解されていない「失われた30年の真因」の分析が求められているものと考えられるのである。つまり、私自信は、以前から、「2001年から始まった日銀の量的緩和が、失われた30年の真因である」と結論付けてきたが、実際には、「この意見に賛同する人が、いまだに存在しない状況」とも言えるのである。

より詳しく申し上げると、「2001年に、日銀が実施した量的緩和」については、実質の「金融引き締め」であり、その結果として、「市中に出回る資金が日銀に吸収され、実体経済の成長に繋がらなかった可能性」が考えられるのである。つまり、それまでの「準備預金」を、「当座預金」という名称に変更し、「当座預金の増加は、量的緩和である」と、多くの国民に信じさせた状況のことである。

別の言葉では、「1997年から始まった世界的な信用収縮」の結果として、「大量の不良債権が、民間銀行のみならず、中央銀行にまで移転し始めた状況」だったために、「超低金利状態の創出」を目論んで、「日銀が当座預金を増やし、資金手当てをすることにより、国債の買い付けを始めた状況」のことである。そして、結果としては、「先進諸国におけるデリバティブの大膨張」と相まって、「日銀の量的緩和が、その後、20年以上も継続された」という展開だったことも見て取れるのである。

つまり、過去30年間の日本では、「バブル崩壊後の不良債権処理に、多くのエネルギーが使われていた状況」であり、その結果として、「国民の預金が、日銀を通じて、国債に変化していた状態」とも理解できるのである。別の言葉では、「国民が預金を引き出すと、日銀の国債残高が減少し、金利が上昇する可能性」が指摘できるために、「日銀の黒田総裁」としては、「量的緩和の維持」を主張し続けている段階とも想定されるのである。