本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2022.8.30

国家戦略となった金融教育

「金融庁は、『金融教育』を国家戦略として推進する」との報道がなされたが、この点については、「中国の一帯一路」と同様に、きわめて時代錯誤の政策だと考えている。つまり、現在の「経済学」の問題点としては、「お金の謎」が解けていないだけではなく、「商品と通貨の関係性」を理解する人が、ほとんど存在しないような状況であるために、「誰が、どのようにして金融教育を行うのか?」という根本的な問題が存在するのである。

しかも、現在は、「文明法則史学」が教えるように、「1600年前の西ローマ帝国」と似たような経済環境にあり、実際には、「パンとサーカスの生活」に疲れた人々が、「財政赤字とインフレ」、あるいは、「民族間の武力衝突」などに悩まされている状況とも言えるのである。別の言葉では、西洋的な「唯物論」が行き着いた世界において、「心の問題」が多発しており、その結果として、「心のルネサンス」という、東洋的な「唯心論」が求められ始めた状況のことである。

このように、現在では、「中国やロシア」などの「軍事力による帝国主義的政策」のみならず、「先進諸国」の「金融資本至上主義」に関しても、全くの時代遅れの考え方となったようにも感じている。つまり、「世界中の人々が、心から望むもの」に関して、私自身の「心の座標軸」のとおりに、「目に見えるもの」から「目に見えないもの」へと変化し、また、「行動の方向性」については、「自分のため」から「人のため」へと、徐々に変化が起き始めている状況とも想定されるのである。

より詳しく申し上げると、「人間の社会は、世界中の人々が心から望むものの総和として形成される」ということが、現在の「私自身の仮説」でもあるが、今までの状況としては、「自然の征服」を目指してきた「西洋文明」が、「自然科学の発達」に、大きな貢献をしてきたことも見て取れるのである。しかし、この点に関する問題は、「社会科学の未熟さ」、すなわち、「高度な技術を持った人類が、どのようにして、その技術を応用するのか?」が理解できない事態であり、その象徴的な出来事の一つが、今回の「お金の謎が解けていない状況下で、誰が、どのようにして、金融教育を行うのか?」とも理解できるのである。

つまり、今回の「金融教育を国家戦略にする政策」については、将来的に、「21世紀の笑い話の一つ」として語られる出来事のようにも感じているが、実際の展開としては、「近い将来に発生が予想される世界的なハイパーインフレ」により、「お金の謎」が解けるとともに、「金融リテラシーの改善」に貢献する状況を想定している。