本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.10.6

ヘーゲルの国家共同体

「ヘーゲル(1770年-1831年)の精神現象学」では、「国家共同体」という理念が紹介されているが、この点については、より深い考察が必要なものと考えている。つまり、「国家は、本当に共同体なのか?」という疑問のことだが、この点を理解するためには、「時間の経過とともに、共同体が、どのような変化や発展を見せたのか?」を考察する必要性があるものと感じている。

別の言葉では、「共同体」を意味する「ゲマインシャフト」と「利益面や機能面」が重視される「ゲゼルシャフト」の違いを理解することでもあるが、実際のところ、「家族」という共同体に関しては、「愛情をもって、損得勘定ぬきに、家族に貢献し合う状況」が見て取れるわけだが、一方で、「市民社会」や「国家」については、「利益や欲望が絡むために、さまざまな思惑が働く状況」も想定されるのである。

つまり、「神々の掟」と「人間の掟」という「ヘーゲルの言葉」からも明らかなように、「この世界には、大別して、三種類の法則が存在するのではないか?」と考えているが、具体的には、「法界(ほっかい)」に存在する「仏法や神々の掟」であり、また、「大自然界」に存在する「摂理」、そして、「人間社会」に存在する「法律」のことである。そして、現在の問題点は、「弘法大師」や「ヘーゲル」などが指摘したように、「仏法と国法の違い」、あるいは、「神と人との掟の違い」のようにも思われるのである。

別の言葉では、「大自然の摂理」に左右される「人間」にとって、「倫理観」や「道徳」、あるいは、「宗教」などにより、「人間社会の法律」と「神様の法や掟」とを合致させる必要性が存在するものと思われるのである。しかし、この点に関して、最大の障害となっているのが、「お金」や「市場経済」の存在とも思われるが、実際には、「武力や資金力などによる富や領土の奪い合い」のことである。

つまり、「非理法権天」という言葉のとおりに「権力を握った者たちは、他者を支配して、より大きな権力を持つ欲望」に駆られがちになるわけだが、この結果として生み出されたものが、現在の「マネーの大膨張」であり、また、「地球環境よりも富や便利さを求める社会」とも言えるのである。別の言葉では、「共同体の誕生と発展」について、最初は「分業体制による生産の効率化」が主な要因となったが、現在では、「大膨張したマネー」が産み出した「過剰な市場経済化」、あるいは、「心の荒廃」などにより、崩壊寸前の状況となっており、このことは、「国家共同体」の限界点を表しているものと感じられるのである。