本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.7.6

無用の用

老子に「無用の用」という言葉があるが、具体的には、「コップ」や「茶碗」などの容器、あるいは、「家」や「部屋」などの建物に関して、「本当に役立っているのは、中に存在する空間である」という理解のことである。つまり、多くの人々は、「茶器」や「高価なグラス」、あるいは、「立派なマンション」などに価値を見出しているが、「それらの物質が、人類に対して、どのような貢献をしているのか?」については、実際のところ、「空間において、どのような仕事が行われたのか?」が、より重要な点とも考えられるのである。

より具体的には、「戦国時代の武将が、何故、茶道を好んだのか?」を考えると、「質素な空間における一期一会の出会い」や「戦争で荒んだ心の安寧」を求めたからのようにも感じられるのである。つまり、本当に役立ったのは、「空間における人間の行為」だったものと想定されるが、今回、この点に関して気付かされたことは、「人間社会においても、同様の意味が当てはまるのではないか?」ということだった。

より詳しく申し上げると、「目に見える肉体」は「単なる容器」にすぎず、実際には、「目に見えない心」が重要な役割を果たしている可能性であり、また、このことが、仏教の「空」につながる可能性である。つまり、この世の仕組みとしては、最初に、「法界」が存在し、その中に、「人間社会」を含めた「大自然」が存在するものと考えられるが、この点に関して、最も重要なポイントは、「肉体を持った人間が、どのようにして、神の智慧を得ることができるのか?」ということのようにも感じられるのである。

別の言葉では、「洋の東西」を問わず、過去の人類が求めてきたものは、「人間とは、いったい、どのようなものか?」ということだったわけだが、「100年ほど前から発生している変化」としては、「量子力学」や「分子生物学」などの発展により、「人類が、急速に、神の智慧に近づき始めている状況」とも考えられるのである。つまり、「マクロの物理学」で得られた「既存の常識」が、「ミクロの物理学」などで打ち破られるとともに、「科学万能主義」の限界点が認識され始めた状況のことである。

そして、この点に関して、最も大きな役割を担ったのが、「マネーの大膨張」であり、実際には、「目に見えないデジタル通貨」となった「現代の通貨」が、「人々の意識」を大きく変化させた状況のことである。つまり、「最初に、人類を奢り高ぶらせ、その後に、人類の限界点を認識させる展開」のことでもあるが、現在は、「神様となったデジタル通貨が、紙切れへと堕落を始めた段階」とも言えるようである。