本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.7.3

インドラの網

仏教に「インドラの網」という言葉があるが、このことは、「インドラ(帝釈天)が住む宮殿を飾っている網」を意味し、具体的には、「その無数の結び目の一つ一つに宝珠があり、それらは互いに映じ合って、映じた宝珠が更にまた互いに映じ合う」というものである。そして、このことは、「人間社会」を表しており、ユングが指摘するように、「一人ひとりが宝珠の玉であり、また、深層心理で結びついている状況」とも思われるのである。

別の言葉では、現在の「インターネット」のように、「人間の魂が、すべて繋がっている状況」、すなわち、「神様のネットワーク」のようなものが存在する可能性のことでもあるが、実際には、「量子力学」などの「微視的物理理論」が指摘するような状況とも思われるのである。つまり、「ライプニッツの予定調和」のとおりに、「神様が、100年ほど前から、いろいろな準備をしていた可能性」が指摘できるものと考えられるが、具体的には、「1971年のニクソンショック」を境にして、それまでの約50年間が、「微視的物理学の勃興期」であり、また、その後の約50年間が、「インターネット網の構築と、デジタル通貨の大膨張が実現された時期」だった展開のことである。

より具体的には、「西洋の物質文明」から「東洋の精神文明」への「橋渡し」として、「目に見えるインターネット網」を構築することにより、「目に見えないインドラの網(神のネットワーク)」の存在に気付かせようとした可能性のことである。別の言葉では、「大膨張した現代のマネー」に関して、「目に見える紙幣や金貨」などから「目に見えないデジタル通貨」へと質的な移行をし、その後、「大インフレ(通貨価値の激減)」を発生させることにより、一挙に、「神のネットワーク」がつながる展開のことである。

つまり、「お金の魔力」に惑わされた現代人が、「1945年の日本人」のように、「一挙に、価値観の大転換を経験する状況」のことでもあるが、この時に必要とされる条件は、「心の仕組み」の理解とも言えるようである。具体的には、過去の哲学者が、異口同音に指摘しているように、「外的に知覚されたものと、内的な観念とを比較し、両者が一致するか否かを判断すること」である。

別の言葉では、「肉体」と「精神」との関係性において、「心が、どのような役割を果たしているのか?」を理解することでもあるが、この点については、「過去の哲学者が、洋の東西において、どのような意見を述べているのか?」を深く研究することにより、正しい答えが得られるものと感じている。