本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.5.20

ヘーゲルが求めた自由

ヘーゲルは「人類の自由獲得」を究極的な目標としたものと思われるが、この点については、やはり、「東洋哲学」が教える「融通無碍」と同様の意味を持っているようにも感じている。つまり、「ヘーゲルの考える自由」とは、「何事にも囚われず、神の意識で、世界を見て行動すること」のようにも思われるが、この点については、「人間の成長過程で、いろいろな経験を経て、悟りという、神の真理に近づく状況」とも考えられるのである。

別の言葉では、「文字を発明した人類は、過去3000年余りの期間に、飛躍的な発展を遂げた状況」でありながら、現在は、「10段階の3程度の精神レベルにとどまっている状況」のようにも感じられるのである。つまり、「神が創った世界」を研究する学問である「自然科学」においては、すでに、「高次元のレベル」に達しているものの、「人が創った社会」を研究する学問である「社会科学(人文科学)」においては、依然として、「三次元の段階」にとどまっている可能性のことである。

より具体的には、今から1600年前の「西ローマ帝国の崩壊」により、それまでの「高度な自然科学」が忘れ去られ、再度、復活したのが、「ケプラーからニュートンの時代」だったことも見て取れるのである。しかも、その後の展開としては、「人類は大自然を支配すべきである」という「誤った思想」により、「マネーの大膨張」や「異常気象」が発生し、現在では、「人類が、大自然から淘汰され始めた段階」とも思われるのである。

つまり、このままの状態が継続すると、かつての「恐竜」と同様に、「人類が絶滅する可能性」も考えられるわけだが、この解決策としては、「人類の自由」が、より深く認識される状況とも考えられるのである。別の言葉では、「ニーチェの超人」のように、「神の真理」を体得した人々のことでもあるが、実際には、「真言密教の三密加持」が教えるように、「神の精神」と「人間の頭脳」が「一直線の心で対象に向かう状況」のことである。

より具体的には、「99%の努力と1%の霊感」という「エジソンの言葉」のとおりに、「現在の問題を考え抜いた後に生み出される霊感」が、「社会科学においても発生する状況」のことである。つまり、ヘーゲルが求めた「真の自由」、そして、「仏教が教える成仏」のように、「生きたままの人間が、神のレベルの悟りにまで到達する可能性」のことでもあるが、この点については、「心の謎」が解けることが必須不可欠の条件だと考えている。つまり、約300年前に「ニュートンの万有引力の法則」が発見されたように、今後は、「心の法則」が発見される状況のことである。