ストックマーケットレポート・サンプル 2020.5.10号

* サンプルとして、冒頭の約1ページ分を掲載しております。

1:ファンダメンタル

今回の「コロナ・ショック」につきましては、ご存じのとおりに、「2、3か月間という短期間で、世界中の人々の意識を変える効果が存在した」という状況でしたが、この点に関して、最近、私自身が、大きな違和感を覚えることは、「論理のすり替え」が起きている可能性になります。つまり、「お釈迦様の毒矢の教え」のとおりに、現在、最も必要とされていることは、「コロナの感染を止めて、人々の命を救うこと」になりますが、現在では、「コロナの感染を止めるためには、さまざまな業種の休業、そして、政府からの補償が必要不可欠である」というような認識に変化している状況のようにも感じられるわけです。

別の言葉では、「命を救うためには、お金が必要である」という意見のことですが、実際のところ、「国会において、与党のみならず、野党までもが、声を大にして、政府の支出を訴えている状況」でもあるわけです。しかも、現在では、弁護士出身の「パウエルFRB議長」や「ラガルドECB総裁」などが、「前代未聞の規模で、中央銀行のバランスシート残高を拡大させている状況」となっており、この点につきましては、一種の恐怖心を覚えざるを得ない状況とも感じている次第です。

-->

つまり、「コロナ・ショック」は「国難」であり、「この非常事態を切り抜けるためには、何でもすべきである」という意見の大合唱が、世界的に発生している状況のことです。別の言葉では、「第二次世界大戦の末期と似たような状況ではないか?」とも感じられたわけですが、当時は、「戦争は国家の一大事であり、天皇陛下のためには、国民の命を投げ出すべきだ」ということが「日本国民の常識、あるいは、当たり前の認識」だったことも見て取れるわけです。

より詳しく申し上げますと、現在とは反対に、「人々の命が粗末にされた時代」であり、この理由としては、「明治維新以降の歴史」が挙げられるようにも感じています。つまり、「1868年」から「1945年」までの「約77年間」は、「富国強兵」や「殖産興業」のスローガンのもとに、「国家の富を蓄え、軍事力を強化することに全力が注がれた」という状況でもありました。そして、最後の段階では、「力を持った軍部の暴走」により「大東亜戦争」が始まったものの、結局は、「敗戦」により、日本全体が「焼け野原の状態」となったことも理解できるわけです。

つまり、「1931年の満州事変」の頃から、徐々に、「戦争の激化」が進行したわけですが、その後は、「1936年の2.26事件」や「1937年の日中戦争」などにより、急速に、「世界大戦への道筋が固まっていった状況」だったものと考えられるわけです。別の言葉では、「日本人」のみならず、世界中の人々が、「時代の雰囲気」に飲み込まれていったものと思われますが、この点を、「戦後の75年間」に当てはめますと、「領土や資源などの奪い合い」という「実際の戦争」ではなく、「お金の奪い合い」という「経済戦争」だったものと考えられるわけです。