本間宗究(本間裕)のコラム

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2024.1.22

真の念仏

「シュペングラーの西洋の没落」や「村山節の文明法則史学」が教えるとおりに、現在は、「1600年前の状況」と似たような状態にあり、そのために、今後の展望を考えるうえで役に立つのが、「西暦400年から、どのような時代が展開したのか?」の理解だと感じている。別の言葉では、現在が、「800年間の西洋物質文明」から「800年間の東洋精神文明」への移行期であり、この時に重要な意味を持つのが、「共同体の規模拡大に伴うマネー残高の増加」や「人々の組織などに対する隷従性」とも思われるのである。

より詳しく申し上げると、「西暦400年代の西洋では、西ロー帝国の崩壊に象徴されるように、急速に、それまでの輝きを失った状況」だったものの、一方で、東洋においては、「仏教」に対する研究が盛んになったことも見て取れるのである。具体的には、西暦800年ごろに確立された「弘法大師の真言密教」や「西暦1200年ごろに広く信仰された法然の念仏仏教」へ向かい、徐々に、人々の信仰心が強まっていった展開のことである。

そして、この点に関して、参考になったのが、親鸞の「私は祖先のために念仏を唱えたことがない」という言葉だったが、実際には、「ヘーゲルの弁証法」や「エジソンのインスピレーション」などと同様の意味を持っているようにも感じられた次第である。つまり、現実の難問や苦悩に直面した人々は、さまざまな試行錯誤を行うものの、結果としては、数多くの失敗を経て、最後の段階で「気づき」や「ひらめき」などが得られる状況のことである。

別の言葉では、「気づきなどを得られたときに、思わず口をついて出たのが『無阿弥陀仏』という神様への感謝の言葉だったのではないか?」とも思われるが、実際には、「念」という「今の心」が「仏陀」と同じになる状況のことである。つまり、「仏教」では、「成仏」という「誰もが仏陀のような存在になれる」という教えが存在し、この方法論として、「人知と神の智慧との差を取る『悟り』が存在する」とも理解されているのである。

そして、このことが、「社会科学の次元上昇」を意味するとともに、この時の方法論として、「ひらめき」や「気づき」などの「天や神の智慧」を獲得する唯一の方法が挙げられるものと思われるのである。また、「1600年前と現在との違い」としては、「11次元にまで進化した自然科学」が挙げられるが、当時は、「地動説から天動説への転換」に象徴される「西洋の失敗」、すなわち、「それまでに蓄積した学問や技術の放棄」が存在したことも理解できるために、今回は、「ネットワークによる世界的な情報共有」などにより、過去の失敗が繰り返されない可能性に期待している次第である。