本間宗究(本間裕)のコラム

* 直近のコラムは、こちら

2022.6.4

言葉の曖昧さ

遠藤周作氏の「沈黙」という小説で問題視されているテーマは、「なぜ、神が沈黙するのか?」ということでもあるが、この理由として考えられることの一つに、「言葉の曖昧さ」が指摘できるものと感じている。つまり、今回の「ロシアのウクライナへの軍事侵攻」からも明らかなように、「人間は、平気で嘘を付く動物である」という事実が指摘できるとともに、「イエス・キリスト」や「お釈迦さま」、そして、「ソクラテス」などが文章を残さなかったように、「真理が人々から誤解される危険性」を危惧した可能性も考えられるのである。

より詳しく申し上げると、「神や天は、実際に起こる事件だけで、真理を伝えている可能性」が想定できるが、この理由としては、「人間の認識」に関して、「将来の展開が予想できないために、妄想や不安感にさいなまれる状況」も考えられるのである。つまり、「現在の課題」に対して全身全霊を注入することが、「古事記のいまなか」という言葉のとおりに、「神の真理への近道」とも思われるが、実際には、いろいろな欲望や妄想に惑わされることが多くなる状況も想定されるのである。

そのために、「神の沈黙」が発生しているものと思われるが、実際には、「ヘーゲルの弁証法」や「仏教の悟り」などのように、「人類は、実際の体験を通して、徐々に、神の真理に近づいている状況」のようにも感じられるのである。別の言葉では、「11次元にまで達した自然科学」や「3次元の段階に留まっている社会科学」の「差」が存在するために、現在、「さまざまな事件」が発生しているものと思われるが、実際には、「悲母観音」 のように、「天や神は、涙ながらに、人類の成長を待っている状況」とも想定されるのである。

そして、将来的に、「極楽浄土」や「神の国」が、地上にも到来する時期を待っているものと思われるが、現在の人類に必要なことは、やはり、「目の前に存在する仕事や困難に対して、意識を集中しながら、全力を投入すること」とも言えるようである。別の言葉では、「はたらく」という言葉が意味するように、「傍(はた)に存在する人々を、楽(らく)にする方法」を考えることであり、決して、現在の「ロシア」や「中国」などのように、「傍にいる人々を、自分たちの奴隷にする行動を取らないこと」とも思われるのである。

このように、現時点で必要なことは、「神や天は、常に、私たちを見守っており、日々の出来事を通して、メッセージを送り続けている可能性」や「人類の絶えざる進化と創造」を信じながら、「自分は、今、何ができるのか?」を考え続けることであり、このことが、「神の沈黙」に対する「人間の取るべき態度」のようにも感じられるのである。