本間宗究(本間裕)のコラム

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2022.1.6

金庫や暗号の役割

昭和30年代の日本、特に、私が生まれ育ったような田舎町では、「夜、家に鍵をかける習慣」がなかったが、この理由としては、「ほとんどの家が貧乏であり、守るべき資産が、ほとんど存在しなかった」という点が指摘できるようである。しかし、その後の展開としては、歴史に残る「日本の高度経済成長」などにより、「家の鍵」だけではなく、「金庫」や「暗号」などの重要性が高まっていったことも見て取れるのである。

つまり、「貴重な資産の保存方法」として、「現金や紙の証券などを保有する金庫」が普及し、その後は、「デジタル通貨や暗号資産の保存方法」として、「暗号」の重要性が増していったという状況だったのである。別の言葉では、時代とともに、通貨の形態や価値が変化してきたわけだが、1971年のニクソンショック以降の注目点は、人類史上、初めて、「目に見えないデジタル通貨」が、貴重な資産に変化した事実である。

そして、この点に関して、私が最も危惧する変化は、「現在のデジタル通貨が、今後、ほぼ瞬間的に、雲散霧消する可能性」であり、実際には、おとぎ話の「浦島太郎」のように、「玉手箱を開けた途端に、白い煙とともに、一挙に、時代が進んでいたような展開」のことである。つまり、1971年から現在までの「信用本位制」を振り返ると、今までは、「コンピューターネットワークの発展」をキッカケにして、「デリバティブやデジタル通貨の大膨張」が、きわだっていたことも理解できるのである。

しかし、現在では、「人口増やマネー大膨張の弊害」、すなわち、「79億人にまで急増した人類が、大量の資金を使い、地球環境を悪化させている状況」の結果として、「人類自体が、地球と共生できなくなる可能性」までもが指摘されているのである。つまり、「西洋文明から東洋文明への移行」に伴い、「人々の意識や価値観」が大きく変化を始めた結果として、今までのような「デジタル通貨の奪い合い」から、「自分の命を、どのようにして守るのか?」が、より重要な「人生の目的」となりつつあるものと感じられるのである。

そして、このような状況下では、間もなく、「暗号資産やデジタル通貨の無価値化」、すなわち、「ハイパーインフレにより、紙幣のみならず、デジタル通貨や暗号資産までもが紙切れになる可能性」が高まっているものと感じている。つまり、これから予想される展開は、「人生において、何が、最も価値のあるものなのか?」が追及されるとともに、価値の無くなった「デジタル通貨」や「過去の個人情報」などに関しては、「守るための努力」が不必要となる可能性とも考えられるのである。