本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.9.23

天皇陛下の玉音放送

1945年8月15日、「天皇陛下の玉音放送」により、多くの国民が、日本の敗戦を知ることとなった。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんと欲す」という天皇陛下の言葉により、その後、戦後の日本復興が始まったわけだが、今回の「眞子内親王の暴走婚」を見ると、「戦後の77年間は、いったい、何だったのか?」と悩まざるを得ない状況のようにも感じている。

具体的には、「天皇陛下バンザイ」と叫び、玉砕した多くの国民は、当時、「何を耐え、何を忍んできたのか?」、あるいは、「戦後の象徴天皇とは、いったい、何だったのか?」ということである。つまり、「明治維新後に、再び、絶対的な権力を与えられた天皇陛下」に関しては、基本的に、「富国強兵」を実現するために、「廃仏毀釈」により「お寺を毀し、地蔵の首を切ってまでも、強引に、『君が代』の意味する『天皇陛下の時代が永続する状況』を作り出したかった思惑」が存在するものと考えられるのである。

別の言葉では、今から、ちょうど800年前の「1221年」に発生した「承久の変」では、「天皇が戦いに敗れた結果として、権力や土地を失い、島流しにあった」という状況だったのである。そして、その後、「1868年の明治維新」までは、「600年以上も存在がないがしろにされた状況」だったわけだが、当時の薩長政府にとっては、「仏教よりも、神道の方が、日本の西洋化にとって好都合である」と理解されたようにも感じている。

つまり、「1868年から1945年」までの「77年間」については、「武力による帝国主義」が実験された状況であり、また、「1945年から現在」までの「77年間」については、「資金力による世界の富の奪い合い」に奔走してきた状況だったのである。別の言葉では、「パンとサーカス」で崩壊した「1600年前の西ローマ帝国」と同様に、「日本」のみならず、「世界の先進各国が、有り余るマネーが生み出す「狂宴」に酔いしれていた状況」でもあったが、今回の「眞子内親王の結婚問題」により、一挙に、酔いが醒めた可能性も考えられるのである。

より具体的には、「軍部の暴走」で崩壊した「日本の軍国主義」が、現在の「官僚の暴走で崩壊寸前の状態に陥っている日本の国家財政」に重なって見えるわけだが、実際のところ、「スポーツやスクリーン、そして、セックス」という「戦後の享楽的な3S政策」の影響で堕落した日本人にとっては、「目先の生活を楽しむ刹那的な人生」により、「思考が失われた状況」となっている可能性も考えられるようである。