本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.8.5

ニーチェの超人思想と永劫回帰

「オリンピック」や「米国のMLB」における日本人の活躍を見ていると、「ニーチェ(1844年-1900年)の超人思想」が思い出されるが、このことは、「ラクダとライオン、そして、赤子という成長過程を経た人間は、超人的な能力を得ることが可能である」という考え方のことである。つまり、「大谷翔平選手」のように「努力目標のマンダラ」を作成し、「日々の努力」を実施した場合には、世界中の人々が驚くような実績を残すことができるということでもあるが、この時の注目点は、やはり、「スポーツ」に限らず、「どのような分野でも、人々の才能発揮が可能である」という認識だと考えている。

より詳しく申し上げると、「ヘーゲル(1770年-1831年)の弁証法」が指摘するように、「自分の疑問点に対して素直に向き合いながら、真理に到達する努力」を重ねると、誰もが予想できなかったような結果が得ることができるという認識である。そして、この点については、「煩悩即菩提」という仏教の教えとも共通点が存在するようだが、「ニーチェの問題点」は、「永劫回帰」という認識に執着したことだと感じている。

つまり、「精神面」よりも「肉体面」に囚われた結果として、「人間は、未来永劫、同じ人生を繰り返すのではないか?」と悩んだ可能性のことだが、この点については、やはり、「神は死んだ」という言葉が、すべてを物語っているようにも感じている。別の言葉では、「富だけに仕え、神に仕えることができない人々が増える」という「当時の時代情勢」に囚われた結果として、自分の人生に絶望感を抱いた可能性である。

ただし、「歴史の醍醐味」としては、この直後から「量子力学」が誕生し、また、「ミクロの物理学」という「目に見えない分野」の研究が始まり、実際には、「物質世界」から「精神世界」へと、人々の興味と関心が移行した展開も指摘できるのである。つまり、「マクロの物理学」では説明できない現象が、数多く出現した結果として、本当の意味での「神の見えざる手」が研究され始めたものと想定されるのである。

そして、この時に注目すべき点は、「永劫回帰」ではなく、「精神面の次元上昇」であり、基本的には、このことが、「キリスト教のアセンション」を意味しているものと考えている。つまり、「困難に直面した人々が、さまざまな悩みや苦しみを経たのちに、精神的な次元の上昇を経験する状態」のことだが、今回の「マネー大膨張」や「地球温暖化による自然災害」については、やはり、「西ローマ帝国の崩壊」以降、「1600年に一度の大転換期」に遭遇している状況のようにも感じている。