本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.5.11

亀の甲より年の功

「亀の甲」については、現在でも「亀甲占い」として使われているように、「未来を予測する方法」として使われてきたが、この点について、「さまざまな経験を重ねてきた私の人生」から考えると、「年の功」の方が、より精度の高い未来予測が可能な状況のようにも感じている。つまり、「歴史のサイクル」や「マネー理論」に「心の仮説」を加えることにより、「将来の展開」が予測可能であり、また、「3000年ほど前から、人類が悩んでいた疑問」である「自分は、いったい、何者なのか?」、そして、「どこから来て、どこに向かっているのか?」も、ある程度、説明が可能なものと感じている。

具体的には、「西洋人」が指摘する「精神と肉体との関係性」、そして、「東洋人」が指摘する「心の思想」を組み合わせることにより、さまざまな問題が解決できる可能性のことである。別の言葉では、「私自身が、50年ほど前に、全く歯が立たなかった哲学と宗教の問題」に関しても、現在では、いろいろな観点から納得がいく状況となっているわけだが、実際には、このことが、「年の功」のようにも感じられるのである。

つまり、「年を取り、いろいろな経験を重ねるほど、世の中の真理に近づく状況」のことでもあるが、この点に関して、「ヘーゲルの歴史哲学講義」では、「ギリシャ文明が、青春文明である」とも述べられているのである。別の言葉では、「文明そのものが、数百年、あるいは、数千年という単位で成長している可能性」、そして、「現在が、いまだに青春文明を脱していない可能性」のことでもあるが、この点に関して興味を覚えたコメントは、「自然の肉体が精神的な意味を持つものに改造される」というものだった。

より具体的には、「動物の肉体」と「神の精神」を併せ持った人間は、当然のことながら、「原罪」や「業」と呼ばれる「四苦八苦の悩み」を持つものと思われるが、このことは、「青春期の若者が、さまざまな経験を経て、老成する過程」と同様の展開のようにも感じられるのである。つまり、現在の「人類」は、「人生の20代から30代に相当するのではないか?」ということでもあるが、今後は、「自然環境を破壊した過ち」に気付きながら、「大自然と共生する生き方」を学んでいくものと思われるのである。

別の言葉では、「大膨張したマネー」が急速に減少する過程で、「人類の歴史を振り返りながら、過去の偉人は、どのような思いを抱いていたのか?」を、ゆっくりと考え始めるものと想定されるが、実際には、「工業革命」により、「時間的な余裕」を獲得した人類が、本格的に、「心の謎」の解明に向かい始める可能性のことである。