本間宗究(本間裕)のコラム

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2021.2.28

明治維新と天皇制

秋篠宮家の問題をめぐって、現在は、日本国民の間で、天皇制の存続そのものに疑問符が付くような状況となっているが、この点を理解するためには、明治維新と天皇制の関係を考える必要性があるものと感じている。つまり、天皇誕生日にあたり、天皇制の歴史を紐解くと、どうしても、「1221年の承久の乱」に行き着かざるを得なくなるが、不思議な点は、私が生まれた町に、「順徳上皇の御陵」が存在した事実とも感じている。

より詳しく申し上げると、「武士と天皇が戦い、武士が完全勝利した承久の乱」をきっかけにして、その後、約650年もの期間、天皇陛下の地位や権力は、ほとんど失われていた状況だったのである。しかし、1868年の明治維新で行われたことは、「廃仏毀釈」と「天皇陛下の復権」であり、実際には、「明治天皇に絶対的な権力を与え、殖産興業と富国強兵の道筋に突き進んでいった」という展開だったのである。

別の言葉では、「聖徳太子」などが推進した「仏教と神道の融合」が完全に断ち切られ、「多くの寺が破壊され、また、仏像は焼き払われたり、地蔵の首が切られたりした状況」だったことも見て取れるのである。つまり、「軍事力の増強」のためには、「天皇陛下の権力」が必要な状況だったものと思われるが、明治維新から77年目に発生したことは、「天皇陛下が現人神から普通の人になられた」という大変化だったのである。

より具体的には、「象徴天皇の誕生」ということでもあるが、ご存じのとおりに、「後半の昭和天皇」や「平成天皇」、そして、「令和天皇」に関しては、「国民に寄り添い、国民とともに暮らしてきた状況」だったのである。つまり、「多くの日本国民が天皇家を敬い、一般参賀などにも、数多くの国民が参加し、旗を振っている状況」でもあったが、今回の「秋篠宮家の問題」については、今までの国民感情を、完全に打ち壊すような展開となっているものと想定されるのである。

別の言葉では、「1945年の敗戦」から「二度目の77年という節目」を迎えようとしている現在、「天皇制そのものに関して、大きな揺らぎが生じている状況」とも思われるのである。つまり、今回は「軍事」ではなく、「お金」の問題をめぐり、「秋篠宮家」に関して、さまざまな問題が発生している状況でもあるが、この理由としては、やはり、「聖徳太子が命がけで推進した仏教」そのものが忘れ去られた点が指摘できるようである。そのために、現在、「日本人全体が、精神面での退廃状態に陥った可能性」があり、結果としては、その事実を気付かせるための事件だったようにも感じられるのである。