本間宗究(本間裕)のコラム

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2018.1.12

良心の呵責

今回の「カヌー選手のドーピング事件」には、たいへん驚かされたが、同時に、いろいろな「天からのメッセージ」が込められていたようにも感じている。具体的には、「良心の呵責」のことだが、今回の事件では、「事件を犯した選手が、罪の意識にさいなまれ、犯行を自供した」という展開でもあった。つまり、「自分の地位や名誉」などが失われることよりも、「魂の叫び」に従った状況とも想定されるが、私自身としては、この点に、「人類全体の流れ」が重なって見えたのである。

より詳しく申し上げると、「西暦1200年から2000年」の「西洋の時代」においては、「人々の価値観」が「目に見えるもの」へと移行していき、いつの間にか、「目に見えないもの」である「道徳心」や「倫理観」などが失われてしまったようにも感じられるのである。つまり、「1800年から2000年前後の資本主義の時代」において、最後の段階では、「お金を儲けるためには、どのようなことでも行う」と考える人が増えたものと思われるのである。

別の言葉では、「マネーの大膨張」の結果として、「スポーツ」自体が商業化し、「有名選手が高給を得られる時代」が到来したのだが、この結果として生み出された社会が、「自分のことだけを考え、他人を犠牲にしても良い」というような価値観だったようにも感じられるのである。つまり、「良心の呵責」という言葉が「死語」となったような時代が訪れたようにも感じているが、実際には、「ほとんどの人が、自分の生活やお金のことだけを考え、人生の意味を無視したような状態」とも想定されるようである。

その結果として、現在では、先進国の全てが、返済不能と思われる金額の「国家債務」を抱え、「金融抑圧」という言葉のとおりに、「預金に金利が付かないような状態」となっている。つまり、「国家が、国民の生活や財産などを無視したような状況」となっており、しかも、この時に、「金融当局者」が、ほとんどが「タテマエ」だけを述べている状況のようにも感じられるのである。

そのために、これから予想されることは、「世界の金融当局者が、良心の呵責により、ホンネを述べ始める状況」だと考えているが、この点については、すでに、「日米」で始まった可能性もあるようだ。つまり、「黒田日銀総裁」の「異次元金融緩和の弊害」という言葉は、半分程度、「ホンネ」が述べられたものと考えているが、今後は、「国債価格の暴落」が始まった時に、全てが明らかになるものと想定している。