本間宗究(本間裕)のコラム

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2013.10.7

永遠の生命

「人間は、二度死ぬ」という考え方があるようだが、それは、最初が「肉体の死」であり、また、二度目が、「人々の記憶から消え去る時」だそうである。そして、この「二度目の死」についても、いろいろな段階があるようだが、具体的には、「イエス」や「仏陀」のように、「決して、人々の記憶から消えることなく、永遠の生命を得た人々」から始まり、「ほとんどの人」がそうであるように、「家族や知人が亡くなった時に、人々の記憶から消え去る人」ということである。

しかし、この時に大切なことは、「名を残そうとして生きる」のではなく、先日亡くなられた「山崎豊子氏」や、あるいは、江戸時代の「葛飾北斎」などのように、「死ぬ間際まで、自分の仕事に邁進する」という生き方を貫いた人が、「イエス」や「仏陀」に近づくことができるようである。つまり、「仏教の教え」では、「成仏」という言葉のとおりに、「努力をすれば、誰でも、仏陀になることができる」と説かれているのだが、このことは、「常に、自分を高めようとする態度を貫いた人」のことでもあるようだ。

具体的には、「90歳」で亡くなられた「葛飾北斎」が、死に際に述べたように、「天が、私に、あと5年の寿命を与えてくれたなら、本物の絵師になることができたのではないか?」というような人生を送ることだと考えている。そして、「輪廻転生」という「生まれ変わり」を繰り返すことにより、徐々に、「仏陀」や「イエス」の境地に近づくことができるようだが、このことは、現在のような「お金が神様になった時代」では、「誰も信じようとしない意見」とも言えるようである。

ただし、今回の「伊勢神宮の式年遷宮」や「出雲大社の遷宮」などを見て感じたことは、「多くの人が、自分の人生について、真剣に考え始めたのではないか?」ということである。つまり、「お金だけが、人生の目的ではない」と認識し始めたようにも思われるのだが、実際には、「歴史」や「神」などについて、勉強し始めるとともに、「本当の生きがい」を模索し始めたようにも思われるのである。

つまり、「楽しい人生」を考え始めたようにも感じられるのだが、私の経験から言えることは、「自分の好きなこと」に邁進しているときが、「楽しく、また、楽な時間」でもあるようだ。あるいは、「自分の仕事」に熱中し、結果として、「顧客からの感謝」や「利益」などが得られた時に、本当の満足感を味わうことになるようだが、結局は、このような人生を、何度か繰り返した時に、「永遠の生命」が見え始めるものと考えている。